敗戦の日 [・・・]
今も戦争はまだ終わってはいない。 あの日の記憶を持つ人たちが生きている間は。 あの日を境に、運命を変えられてしまった人たちが生きている間は。
そして、その思いを、戦争を知らない私たちは引き継いでいかなければならないと思う。
甥や姪、友人の子たちに銃など持たせたくはない。
戦地になど送りたくはない。
そのためには、その思いを大切にするべきなのだ。忘れてはならないのだ。
終戦ではない、と思う。
無謀な戦いをしかけて、敵も味方も、多くの人を殺して、そして負けたのだ。
その証拠に、6年8ヶ月もアメリカに占領され、
沖縄を日本に返してもらえるまで、27年もかかり、
今もなお、日本の各地にアメリカの基地がある。
でも、基地があるから、軍隊を自衛隊などと言ってごまかし、
兵役はなく、
平和ぼけするほど、平和な毎日を暮らしている。
それでも、平和な方がいい、と思う。
戦争を放棄した憲法第9条は、誇っていいと思う。
私はずるいのだ。
苦しんでいる人たちがいるというのに。
それでも、ずるい私は平和な方がいいと願う。
平和時なら、人を殺せば罪になる。
戦争時なら、人(敵)を殺すのは良いことになる。
そんなのは、変だ。
人の命を奪うことは、どんな理由があっても許されることではない筈だ。
私たちは、思いを引き継いで、言い続けなければならない。
戦争は嫌だと。
そうでなければ、私たち自身がその思いを体験しなければならなくなるのだから。
太平洋戦争で亡くなった多くの国内外の方たちのご冥福をお祈りいたします。
合掌。
参拝について [・・・]
朝からずっと、首相の靖国参拝のニュースでもちきりです。
彼としては、これで公約を果たした、というところなのでしょうが・・・
日本人として、英霊の祀られている靖国神社へ参拝することは、良いことだと思っています。
嫌だと拒否することも出来ず、戦地へ連れて行かれ、死ななければならなかった人たちのために、
参拝するのは、当然のことだとも思います。
私も1度はするべきなのかもしれない、とも思います。
けれども、
世界の中の1つの国、日本という国に住む者としては、
日本の顔である首相が、靖国に参拝するのはどうかと思うのです。
若い人は、何故こうも問題が大きくなっているのか、わからないという方も多いでしょう。
では、こう考えてみてください。
今、日本語を話すことを禁止され、日本名を捨てさせられたら、どうしますか?
神社は壊され、初詣も、お祭りもできなくなります。神前結婚式も当然できません。
仲間うちならと安心し、日本語を使っているところがみつかって、
逮捕されて、拷問を受け、屈辱的な殺され方をされたら、どうしますか?
大切な人がそんな目にあったら、どう思いますか?
太平洋戦争で、日本がしたことです。
日本語を強要し、日本名に改名させ、従来の宗教を禁止し、神社参拝を強要した。
その代表となる神社の1つが、靖国神社なのです。
お国のために戦って、名誉の戦死を遂げた者は、英霊として靖国神社に祀られる。
それが、太平洋戦争時の靖国神社でした。
でも、それは、日本人に限られていました。
徴兵されて、名誉の戦死を遂げた筈の中国や韓国の人は、駄目だと言われてしまったのです。
祖国でもない、遠い日本の神社に祀られたとて、嬉しくもないでしょうけれど、
でも、日本のために戦わされた人たちが、切り捨てられるのは我慢ならなかったと想像できるのです。
戦後になって、境内に日本人以外の慰霊碑ができましたが、
反対の声を沈めるためだ、という声があるのは事実です。
中国や韓国が、首相の靖国参拝に抗議するのは、仕方のないことでもあるのです。
日本のことじゃないか、ほっといてくれ、と言い切ることはできないと思うのです。
だからといって、どうすればよいのか、1庶民の私にはわかりません。
ただ、
「わからない」、「今の自分たちには関係ない」と言うことだけはしてはいけないと思うのです。
今の日本がどういう方向へ向かっているのか、考えなくてはいけません。
それは、自分たちが徴兵されることになる道かもしれないのです。
恋人を、友人を、激戦地へ送りたいですか?
自身が銃を持ち、戦地を駆け回りたいですか?
そんなことを望む人はいないでしょう。
そうならないためには、知らん顔をしていてはいけないのだと思います。
ことさら何かの運動に参加しなければならないというわけではないと思います。
1人1人が、戦争は嫌だと思う気持ち、それが大切なのだと思います。
関係ないなどとは言わないでください。
随分と苛烈な言葉を並べました。
いろいろなご意見があると思います。
でも、私はただ、戦争が嫌なだけです。
そう思ってくれる人が1人でも増えてくれれば、と思いこの記事を書きました。
61年前の8月9日 [・・・]
今も戦争はまだ終わってはいない。 あの日の記憶を持つ人たちが生きている間は。 あの日を境に、運命を変えられてしまった人たちが生きている間は。
若い頃、長崎へ行きました。
原水爆に反対する世界大会に、職員組合の代表者として参加するためです。
正直、長崎へ行くのには勇気がいりました。
(私は高度成長期生まれ。戦争を知りません。
父方の祖父は出兵しました。母方の伯父は、学徒出陣しました。
ですが、無事に復員しています。戦争で亡くなった3親等内の親族はいません)
何故だか、辛いのです。太平洋戦争に関することが。
くじけそうになる心を奮い立たせて大会に参加しました。
しっかりみつめなければと、いろいろな場所を見て回りました。
太平洋戦争での出来事は、遠い時代の出来事ではなく、
ほんの少し前の出来事で、今もなお続いているのだと痛感しました。
あれから20年近くが経ちました。
それでも、遠い時代の出来事だとは思えません。
今日の式典で、被爆者代表の中村さんの言葉がそれを証明しています。
中村さんの中では、まだ戦争は終わっていないのです。
同時代に生きている私たちが、関係ないなどと言ってはいけないのです。
61年前の今日、たった数秒の間に、多くの人が亡くなりました。
そして、今も苦しみ続けている人たちがいます。
多くの亡くなった人たちへ
合掌。
61年前の8月6日 [・・・]
今も戦争はまだ終わってはいない。
あの日の記憶を持つ人たちが生きている間は。
あの日を境に、運命を変えられてしまった人たちが生きている間は。
戦争など、どんな言い訳をしたところで、ただの殺し合いでしかない。
理不尽に命を奪われ、
残された者たちの心に、身体に、大きな傷跡を残し、
何もかもを破壊し尽くす。
そんなことをして、何が残るというのだろう。
何を得るというのだろう。
61年前の今日、たった数秒の間に、多くの人が亡くなりました。
そして、今も苦しみ続けている人たちがいます。
多くの亡くなった人たちへ
合掌。
・・・ [・・・]
あの戦争が終わって60年が経った。
高度成長期の真っ只中に生まれた私は、当然戦争を知らない。
けれど、あの太平洋戦争にまつわる話を目にすると、何故こんなにも涙があふれてくるのか。
私にもわからない。
これらの記事に関してはコメントを受け付けませんでした。
どんなコメントをいただいても、お返しする言葉がみつからないのです。
ごめんなさい。
nice!を押してくださった方々、
トラックバックをしてくださった方々、
どうもありがとうございました。
昭和20年8月15日 [・・・]
60年前の今日、戦争がようやく終わった。
日本は自分からしかけた戦争に負けたのだ。
何故もっと早くに終わらせることはできなかったのか。
何故大国を相手に戦争を始めようと考えてしまったのか。
それらはしょせん、後世に生きる私の勝手な繰り言に過ぎない。
あの大きなうねりにあらがおうとした人たちはたくさんいた。
けれど、時代の流れを止めることはできなかった。
多くの人の命を奪い、
多くの人の絆を引き裂き、
多くの悲しみを残して、戦争は終わった。
戦争を知る人たちがすべて亡くなってしまうまで、
この悲しみは決して消えない。
今も、どこかで、戦いは続いている。
合掌
昭和20年8月9日 [・・・]
60年前の今日、長崎に原子爆弾が落ちた。
広島に原爆が落ちた、たった3日後である。
一瞬にして、多くの命が奪われた。
一瞬後から、多くの命が失われていった。
今現在も、この日の被爆が原因で亡くなっていく人たちがいる。
長崎の地で、原水爆を反対する集会に一度だけ参加したことがある。
その折り、知り合いからこう言われた。
「あんたはあの政党の支持者なのか」、と。
私は驚きに目を見張り、一瞬言葉を失ったが、すぐにこう答えた。
「政党の思惑など私には関係ありません。私はただ、戦争が嫌いなだけです。広島や長崎で苦しんだ人たちと同じような思いを、今を生きる人たちにして欲しくないだけです」
私の言葉はどこか悲痛だったろうか。
これを聞いた知り合いは絶句したまま、その場を立ち去った。
私が長崎を訪れた年も、暑い夏の一日だった。
集会場所で、黙祷を捧げた。
閉じていた目を開き、周囲をぐるりと囲むなだらかな坂を見上げると、
くっきりとした青空の下、たくさんのお墓が立ち並ぶそこに、
多くの人たちが、お墓に花を手向け、手を合わせていた。
本当に多くの人たちが、そこにはいた。
よそ者の私には、戦争を知らない私には、計り知ることのできない哀しみがそこにはたちこめていた。
戦争は嫌だ。
大切な人たちが、戦争で死んでいくのを見るのは嫌だ。
きっと青空は60年前の今日も同じ青空だったに違いないのに。
合掌
昭和20年8月6日 [・・・]
60年前の今日、広島に原子爆弾が落ちた。
一瞬にして、多くの命が奪われた。
一瞬後から、多くの命が失われていった。
今現在も、この日の被爆が原因で亡くなっていく人たちがいる。
昨日の日本テレビ・ズームインで、平成8年の式典映像が流れた。
広島テレビズームインキャスター・脇田義信氏の声とともに。
この声を鮮明に覚えていた。
原爆死没者慰霊碑に原爆死没者名簿が納められる映像、
この方はその時、
「いずれ私もあの場所へと入ります」
そう語った。
そして、被爆から60年後の今日、その言葉通り、あの名簿に名を連ね、慰霊碑の中へと静かに入っていった。
戦争は嫌だ。
大切な人たちが、戦争で死んでいくのを見るのは嫌だ。
今日も蝉がやかましい程に、鳴いている。
合掌