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夏の文楽公演 その2 [文楽]

昨日の続き。
第2部は「桂川連理柵(かつらがわれんりのしがらみ)」。
          
実話です。なんと40代の男性と10代の女の子の心中事件が元になってます。
実際の事件とこの脚本と、どこがどう違うのかは不勉強でわかりません。
あらすじをかいつまんで書いてみると、
帯屋の主人長右衛門38歳、隣家の信濃屋は育てて貰った恩のある家。
その信濃屋の娘お半はまだ14歳。幼い頃に父を亡くし、以来長右衛門は父変わり。
お半が伊勢参りに出掛けた帰り道のこと。たまたま商用で遠出をしていた長右衛門と出会い、旅は道連れ、同じ宿にて泊まることになったのが因果の元。
夜半、お半は付き従ってきた丁稚の長吉に言い寄られ、ようよう長右衛門の部屋へと逃げてきた。
長右衛門は戸惑ったが、相手はまだ子供、朝までもう一眠り、と思ったところが、何がどうして二人は深い関係に。
なおも悪いことには、お半を追ってきた長吉にそれを見られてしまう。
ここからは、文楽特有の二重にも三重にものっぴきならない商売上の現実が長右衛門を襲うのだが、長くなるので割愛。
ともあれ長右衛門はもはや死ぬしかないところまで追いつめられている。
片や、お半は一夜の過ちか何度もあったのかはわからぬが、嫁入り前の体で身ごもってしまう。
こんな年若で妊娠などと、世間様へも恥ずかしく、もう死ぬしかないと思いつめているのだった。
一度は長右衛門の説得で死ぬことをあきらめたようにみせかけて、でもしっかり目の届くところへ遺書を置いてくるのはまだまだ子供。
長右衛門は遺書を読んで、自分も共に、と慌ててお半の後を追う。
実は長右衛門、若い頃に心中約束をしたのに死に後れた過去がある。
「思へば最期の一念にて、岸野(natu注:心中約束をした遊女)はお半と生れ変り、場所も変らぬ桂川へ、われを伴ふ死出の道連れ」
お半は一人死なせてしまったあの娘の生まれ変わりか、と考えたのである。
お半に追い付いた長右衛門は再度お半をさとすのだが、お半の決意は変わらない。二人は袂に石をつめ、桂川へと身を投げるのだった。

長い。全然かいつまんでいない気がする。
でもここまで書かないと、長右衛門はただ若い体に目がくらんだだけの男になってしまう。
文楽作品で心中事件を起こす男なんて、甲斐性なしで困った奴なのだ。
でも! そこを、そうじゃないんだよ、とするからこその名作なのである。
また、主役の長右衛門の人形を遣う吉田玉男氏という方は、こういうだらしない男を実にいい男に変えてしまうのだ。
こんな優柔不断男!と思っていても、玉男氏が遣うと途端に、まぁこの人にもいろいろ事情はあったのだし、仕方ないよねぇ、となってしまう。実に不思議だ。
ご高齢のため(御年86歳)、今回は「帯屋の段」のみの出演となってしまいとても残念だったが、ただ座っているだけの人形が、さまざまに苦悩する素敵な中年男に見えてくるのは、
ひとえに玉男氏の円熟したわざがなせるのでありましょう。

今日は長くなったので、ここで終わり。続きはまた明日。(まだ続けます。だって好きなんだもん)


夏の文楽公演 その1 [文楽]

夏の文楽公演は、第1部を夏休み親子劇場として子供でも馴染みやすい演目が上演されている。
「西遊記」や「瓜子姫とあまんじゃく」、「舌切り雀」など。
今年は弥次さん喜多さんでおなじみの「東海道中膝栗毛・赤坂並木より古寺の段」。
  
狐に化かされるコミカルなお話で、さんざん恐い思いをして身ぐるみはがされたというのに、江戸っ子の二人はあっはっはと笑って旅を続けていく。
こういった話のチャリ場(観客を笑わせるための滑稽な場面)は制約がないのか、現代の笑いがふんだんに盛り込まれる。
唄ってみろと言われた喜多さんが「♪よぉく考えよぅ~」と唄ったり、若手お笑い芸人の持ちネタを言ったりするのだ。
20日は学校の終業式だったから子供の数は少なかったが、それでも知っている言葉が出てくると、子供も大人も大笑い。
気楽に観るという娯楽本来の楽しさを味わえる舞台となっている。

演目の間には、文楽の解説として文楽人形のしくみを説明したり、子供たちを舞台に上げて実際に人形を動かしてみたり、ということが行われる。
この日は、元気な男の子二人と、浴衣を着た小さな外国の女の子が舞台に上がった。
足役の男の子は飲み込みがよく、上手に足を遣って拍手喝采を浴びていた。

休憩(ここで皆お昼を食べる)の後、2つ目の演目「小鍛冶(こかじ)」が始まる。
  
天皇から剣を作るよう命じられた小鍛冶の宗近が、稲荷明神の助けを借りて、名刀を打つというお話。元は謡曲ということだ。
稲荷明神なので、この人形には狐のように足を動かす激しい振りがある。
通常主遣い(人形の頭と右手を遣う)以外は、顔を黒衣(くろご)という黒頭巾をかぶって隠しているのだが、この足遣いは技術を必要とするため、左遣い足遣い共に顔を出した出遣いとなる。
腰を曲げたまま舞台を駆け回り、足を踏みならし、人形の足を遣う。
その足さばきの見事さ、激しさには息を飲んで見入ってしまった。
一体の人形を三人で動かすからこその醍醐味であろう。

終了後は、子供達への記念品(今年はポスターが印刷されたファイル。いいなぁ、私も欲しい)がロビーで配られる。
また、人形遣いさんたちが人形を持って待っていてくれる。写真撮影も人形を持たせて貰うことも可能だ。私も早速一枚。
   
この方は文楽の解説をしてくださった人形遣いの吉田勘市さん。手にしているのは弥次さんの人形。
私は化繊の絽に紙の入った軽~い博多名古屋帯。オレンジとグリーンのぼかしの帯揚げ帯締め。

さて、明日は第2部のご紹介。


明日は文楽!! [文楽]

私が初めて文楽(=人形浄瑠璃)を知ったのは、中学生の頃。
古典が好きだったので、夏休みなどに、NHK教育テレビ「高校古典講座」を時折見ていたのだが、その中の「近松」の回の時、映像が流れたのだ。
とにかく衝撃的だった。
わざわざ三人遣いというややこしいやり方で人形を遣っているのにその動きは滑らかで、
8等身以上のバランスは見ていてとても綺麗で、
なにより動かない筈の木で作られた顔がなんと表情豊かに語りかけてくるのか、
ただもう画面に釘付けになってみつめていた。
後になって気付いたのだが、文楽の浄瑠璃(文楽は、人形遣い・語り手の太夫・三味線の三業で行う)は太棹三味線。小学生の頃、大好きだったNHK人形劇「新八犬伝」のテーマ曲にも使われていて耳馴染みのある音だったというのも良かったのだろう。
初めて舞台を観たのは18歳の時。
名古屋の中日劇場で文楽公演があると知り、母に頼んで連れていってもらったのだ。
演目は「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわのかがみ)」。
文楽では珍しい裸の団七が出てくる有名な場面があるが、そのダイナミックさ、リアルさ、団七の苦悩は、観ていて鳥肌が立ち、歯がみしたい程の悔しさや哀しみが痛いほど伝わってきた。
この時の団七の遣い手は故二世桐竹勘十郎氏、舅義平次を吉田玉男氏、一寸徳兵衛を吉田簑助氏というそうそうたる方々の舞台だった。
(あぁ、わからない人にはなんのことやらさっぱりですね。ごめんなさい。説明すると長くなり過ぎるのでご容赦を)
残念ながら朝日座(~昭和59年)での文楽鑑賞はかなわなかったが、大阪にある国立文楽劇場へは年に1~3回ほど足を運んでいる。
ともあれ、明日は久しぶりの文楽! 丸一日たっぷりと楽しんできます♪

今土曜日昼12時30分より、NHK教育テレビで「文楽鑑賞入門・第4回」が放映されます。
ぜひご覧下さい。


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