永平寺でお籠もり・その1 [お出掛け]
実家の母と、永平寺へ行ってきました。
子どもの頃から、日本の古き良き物に背を向けてきた母が、
(終戦時に国民学校1年生。大きく変わる世情に考える物があったようです)
急に、菩提寺の総本山である永平寺に行って参籠したいと言い出したので、お供した次第。
父は、足が弱くなっているので、家で留守番です。
私は20数年ぶりの永平寺でした。
参籠は、一泊二日。
入山を14時にしてあったので、
お昼は、福井駅で買った駅弁のかにめしをえちぜん鉄道の中で食べました。
かにたっぷりで美味しかったです。
参籠参加者は、拝観料が不要でした。
お部屋に案内されると、相部屋ではなく、母と2人なのに、16畳もある広い部屋でした。
流石に旅館ではないため、テレビや冷蔵庫などはありません。
貴重品BOXも廊下にありました。
部屋の鍵もなく、内側からはかけられますが、部屋の外へ出るときは無施錠です。
既に布団は敷かれていました。
すぐに、案内役の雲水(修行僧)さんが来て、参籠の注意事項やおおまかなスケジュールを教えてくれました。
まだ少年といってもいいほどの可愛らしい雲水さんで、名古屋出身だそうです。
手の所作について、「三進退」というのを教わりました。
1つ目は、合掌
2つ目は、叉手(しゃしゅ)
3つ目は、法界定印(ほっかいじょういん)
合掌は、鼻の高さで、両肘は少し張った形。
叉手は、立っているとき、歩いている時のもので、、左手の握り拳を右手で覆うような形。
法界定印は、座っているとき、坐禅の時のもので、
右手の中指の付け根に左手の中指の先が付くように重ねて、
両手の親指の先を軽く合わせる形。
前から見ると、楕円になるように、上から見ると、中指が親指に隠れるように、とのことでした。
とりあえず、入浴時間の16時まではたっぷり時間があるため、お堂を拝観することにしました。
最初に説明を受けると、後は自由拝観。
母は、NHKのDVDを見ているので、興味深そうに色々見て回っていました。
階段に合わせた斜めの窓。
承陽殿の前の大きな香炉に乗っている獅子がとっても可愛くて、
母と2人で、可愛いね~といって、撫で回してしまいました(笑)。
同じく可愛かった龍。
一番古い時期に立てられた山門を裏側から見たところ。
この画像の左下では雲水さんたちが、一生懸命掃除をしていました。
(雲水さんたちの撮影は禁止されています)
16時からは、入浴時間。
最初に入浴というのは、参籠前に、世俗の垢を落とすということなのでしょうか。
お風呂は、旅館と変わりなく、ただ、石けんと軽石しか置いていないところが、僧坊らしい所。
あ、もちろん、タオルもないので、持参した物を使います。
参籠の注意事項の中に、「三黙道場」というのがあって、
東司(とうす・トイレのこと)、浴室、僧堂
では、しゃべってはいけない、と言われました。
17時半から、薬石(やくせき)。夕食のことです。
精進料理ということで、楽しみにしていたのですが、食事も修行の一つということで、
残さず食べること、
食べる時間を他の人と合わせること、
という言葉に、小食で、食事が遅い私と母は、焦って食べなくてはならず、
とにかく食べることに必死で、
食事の前と後に唱える言葉の意味の説明も耳に入らず、
食事を味わう暇もなく、とても残念な思いをしました。
食事は、ご飯、みそ汁、香の物の他に、
野菜(にんじん、しいたけ、いんげん)とがんもどきと白いこんにゃくの炊いた物。
茄子のお浸しのお皿にあと2品。
糸こんにゃくときゅうりとトマト(?)の酢の物。
こぶをあげて編んだものとバナナ、柚あんの葛まんじゅう。
これら3品は、食べきれずに持って帰りました。
後は、有名なごま豆腐。これはよく覚えています。とても美味しかったです。
どうにか食事を終えて、小休憩。
19時前からは、いよいよ坐禅の時間です。
冷房の効いた広間での坐禅でした^^;
坐禅というと、何も考えてはいけないとか言われるのかと思ったら、
座り方を一つ一つの動作から教えてくれるだけで、
それ以外の注意事項もなく、始まってしまいました。
薄暗い中、お腹もいっぱいで、眠くなったらどうしようかと思いましたが、
腹式呼吸を続けることに意識をおいて、それでも、あれこれ考えているうちに、20分くらいで終わりました。
こんなに煩悩にまみれた坐禅でいいのかと拍子抜けするほど。
お尻の下に坐布を敷くので、膝に乗せていた方の足首が固まって痛いのを覗けば、足がしびれることもなく、
かえって姿勢が良くなったようで、意外と楽なものでした。
坐禅の後は、法話の時間。
仏教で有名な貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の「貪」と「貧」の字の違いの話がとても印象に残りました。
漢字に含まれる「貝」という文字は、お宝の意味。
宝を含む(貪るの古字は、含に貝と書いたそうです)=宝を集める=人から奪い取る人生
宝を分ける=宝を人に与える=人に与える人生
人から奪い取る人生ではなく、人に与える人生を歩まねばならない、という教えでした。
法話の後は、永平寺の紹介ビデオを鑑賞。
それが終わる頃には、20時半を過ぎており、21時の開枕(かいちん=消灯)までに、
大慌てで化粧を落として寝る支度を。
といっても、21時を過ぎても部屋の電気は点くので、心配することはありませんでした。
長くなったので、2日目は、また後日。
子どもの頃から、日本の古き良き物に背を向けてきた母が、
(終戦時に国民学校1年生。大きく変わる世情に考える物があったようです)
急に、菩提寺の総本山である永平寺に行って参籠したいと言い出したので、お供した次第。
父は、足が弱くなっているので、家で留守番です。
私は20数年ぶりの永平寺でした。
参籠は、一泊二日。
入山を14時にしてあったので、
お昼は、福井駅で買った駅弁のかにめしをえちぜん鉄道の中で食べました。
かにたっぷりで美味しかったです。
参籠参加者は、拝観料が不要でした。
お部屋に案内されると、相部屋ではなく、母と2人なのに、16畳もある広い部屋でした。
流石に旅館ではないため、テレビや冷蔵庫などはありません。
貴重品BOXも廊下にありました。
部屋の鍵もなく、内側からはかけられますが、部屋の外へ出るときは無施錠です。
既に布団は敷かれていました。
すぐに、案内役の雲水(修行僧)さんが来て、参籠の注意事項やおおまかなスケジュールを教えてくれました。
まだ少年といってもいいほどの可愛らしい雲水さんで、名古屋出身だそうです。
手の所作について、「三進退」というのを教わりました。
1つ目は、合掌
2つ目は、叉手(しゃしゅ)
3つ目は、法界定印(ほっかいじょういん)
合掌は、鼻の高さで、両肘は少し張った形。
叉手は、立っているとき、歩いている時のもので、、左手の握り拳を右手で覆うような形。
法界定印は、座っているとき、坐禅の時のもので、
右手の中指の付け根に左手の中指の先が付くように重ねて、
両手の親指の先を軽く合わせる形。
前から見ると、楕円になるように、上から見ると、中指が親指に隠れるように、とのことでした。
とりあえず、入浴時間の16時まではたっぷり時間があるため、お堂を拝観することにしました。
最初に説明を受けると、後は自由拝観。
母は、NHKのDVDを見ているので、興味深そうに色々見て回っていました。
階段に合わせた斜めの窓。
承陽殿の前の大きな香炉に乗っている獅子がとっても可愛くて、
母と2人で、可愛いね~といって、撫で回してしまいました(笑)。
同じく可愛かった龍。
一番古い時期に立てられた山門を裏側から見たところ。
この画像の左下では雲水さんたちが、一生懸命掃除をしていました。
(雲水さんたちの撮影は禁止されています)
16時からは、入浴時間。
最初に入浴というのは、参籠前に、世俗の垢を落とすということなのでしょうか。
お風呂は、旅館と変わりなく、ただ、石けんと軽石しか置いていないところが、僧坊らしい所。
あ、もちろん、タオルもないので、持参した物を使います。
参籠の注意事項の中に、「三黙道場」というのがあって、
東司(とうす・トイレのこと)、浴室、僧堂
では、しゃべってはいけない、と言われました。
17時半から、薬石(やくせき)。夕食のことです。
精進料理ということで、楽しみにしていたのですが、食事も修行の一つということで、
残さず食べること、
食べる時間を他の人と合わせること、
という言葉に、小食で、食事が遅い私と母は、焦って食べなくてはならず、
とにかく食べることに必死で、
食事の前と後に唱える言葉の意味の説明も耳に入らず、
食事を味わう暇もなく、とても残念な思いをしました。
食事は、ご飯、みそ汁、香の物の他に、
野菜(にんじん、しいたけ、いんげん)とがんもどきと白いこんにゃくの炊いた物。
茄子のお浸しのお皿にあと2品。
糸こんにゃくときゅうりとトマト(?)の酢の物。
こぶをあげて編んだものとバナナ、柚あんの葛まんじゅう。
これら3品は、食べきれずに持って帰りました。
後は、有名なごま豆腐。これはよく覚えています。とても美味しかったです。
どうにか食事を終えて、小休憩。
19時前からは、いよいよ坐禅の時間です。
冷房の効いた広間での坐禅でした^^;
坐禅というと、何も考えてはいけないとか言われるのかと思ったら、
座り方を一つ一つの動作から教えてくれるだけで、
それ以外の注意事項もなく、始まってしまいました。
薄暗い中、お腹もいっぱいで、眠くなったらどうしようかと思いましたが、
腹式呼吸を続けることに意識をおいて、それでも、あれこれ考えているうちに、20分くらいで終わりました。
こんなに煩悩にまみれた坐禅でいいのかと拍子抜けするほど。
お尻の下に坐布を敷くので、膝に乗せていた方の足首が固まって痛いのを覗けば、足がしびれることもなく、
かえって姿勢が良くなったようで、意外と楽なものでした。
坐禅の後は、法話の時間。
仏教で有名な貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の「貪」と「貧」の字の違いの話がとても印象に残りました。
漢字に含まれる「貝」という文字は、お宝の意味。
宝を含む(貪るの古字は、含に貝と書いたそうです)=宝を集める=人から奪い取る人生
宝を分ける=宝を人に与える=人に与える人生
人から奪い取る人生ではなく、人に与える人生を歩まねばならない、という教えでした。
法話の後は、永平寺の紹介ビデオを鑑賞。
それが終わる頃には、20時半を過ぎており、21時の開枕(かいちん=消灯)までに、
大慌てで化粧を落として寝る支度を。
といっても、21時を過ぎても部屋の電気は点くので、心配することはありませんでした。
長くなったので、2日目は、また後日。
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