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文楽初春公演・その3 [文楽]

昨日の続きです。
最後の演目は、「壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)」。
明治時代の作という、文楽の演目の中では新しいものとなります。

実は、ですね。文楽の公演は(歌舞伎もそうだと思いますが)、とても長いのです。
間に昼食もはさみます。
なので、とても眠たくなる時間帯というものがあるんですね。
今回は、この演目でした。
眠気は伝染します。会場中がほわぁ~とあったかくなって、眠気を更に誘います。
でも。
演者の皆さま、ごめんなさい。うつらうつらした中での観劇でした。

お隣のご夫婦の会話です。
「今度は、昼夜続けて観にこようか」
「続けては、無理。入り込んで観てしまうから、結構体力使うのよ」
その通りでございます。大阪まで新幹線で1時間とはいえ、朝早く起きての観劇は、年を経るごとに疲れます。
いつも帰りの近鉄特急の中では、爆睡しています。2時間という長さ、名古屋終着であるのは、本当に有り難いんです。中で食べるのは、名物たこ焼きとミックスジュース。
そういえば、着物姿のお客さんが多い初春公演ですが、いつにも増して着物姿の御仁が多かったのは嬉しい限り。もちろん、私も着物で行きましたよ♪

それと、驚いたのは、公演終了後、太夫の竹本住大夫さんが出口でお客さんをお見送りしていらしたこと。
人間国宝ですよ、住大夫さんは。びっくりしました。
目が合って、会釈をすると、私にもきちんと返してくださいました。嬉しかったです。

さてさて、演目のご紹介に戻りましょう。
あらすじは後ほどご紹介するとして、明るい大団円の部分を。
目が見えるようになった沢市は、観音様のお陰と喜びますが、目の前にいる美しい女性に対してこう聞きます。
「あの、お前はまぁどなたじゃえ?」
「どなたとは何ぞいのう、これ私はお前の女房じゃわいな」
「えぇあの、お前がわしの女房かえ、これはしたり、初めてお目にかかります。はははは、あぁ嬉しや」
沢市が覚えている妻・お里の姿は、まだ幼い少女の姿だったのでしょう。美しく成長した我が妻の姿に驚いたのも無理はありません。
初春らしく、めでたい終わりとなった演目でした。

テディベアもドールも、もう大きな出費はないと思うので、今年はもっと文楽を観に行きたいと思っています。
春の公演も今から楽しみ。昼、夜、どちらの演目を観ようかなぁ。

では、あらすじです。ここからは長いので、たたみます。

お里の夫・沢市は、子供の頃の疱瘡という病気が原因で失明しています。
いとこ同士で共に育った二人は、許嫁だったそのままに夫婦となって3年。
目の見えぬ夫を、お里は甲斐甲斐しく助けて暮らしています。
ある日、沢市は、明け方になるとこっそりと家を出てゆくお里に、話を切り出しました。
”自分は疱瘡のせいで盲目となり、見る影もない顔になっているはず。それに比べて、村の者は、お里は美しいと口々に言う。俺はもう、自分のことは諦めている。ほかに男がいるのなら、嫉妬などしない。はっきり言ってくれ”、と。
それを聞いたお里は、嘆きます。
お里が家を空けていたのは、観音さまへ夫の目が開きますようにと裸足参りをしていたからなのでした。
そんなにしてもらっても、この目は見えぬ。と愚痴をこぼす沢市を説き伏せて、共に祈願をしようと、霊験あらたかという壺坂観音までやってきます。
思い立ったがすぐに、とやって来たため、はや夜は更けて、月があたりを照らしていました。
沢市は、お里に告げます。
「今宵から三日の間、ここに断食するほどに、そなたは早う内(家)へ去んで、何かの用事しもうておじゃ」
慌てて出てきた家も気にかかるお里は、危ないからここを動かないでと言って、一度家へと戻ります。
一人残った沢市には、ある考えがありました。
「いつまで生きても詮無いこの身、(中略)、わしが死ぬのがそなたへの返礼、生きながらえていづれへなりと、よき縁付きをしてたも」
美しいと言われるお里ならば、目の見えぬ自分と添い遂げるよりも、自分の死後、他の男へ嫁いだ方が幸せになれる、と谷へ身を投げたのでした。
この場面、どうするのだろうと思っていたら、
人形遣いの人が手を離し、人形は見事に手前へ落ちてきたので、見ていた私はびっくりしました。
もちろん、下で他の人が受け止めているのですが。
さて、なんだか嫌な胸騒ぎを覚えたお里は、途中で引き返してきます。
ここにいて、と言った場所に夫の姿はありません。
あちこち探すうちに、谷底に月明かりで照らされた愛する夫の死骸をみつけてしまうのでした。
お里は嘆きます。
「あとに残ってわたしゃまぁどうなろぞいな、どうしょうどうしょうどうしょうぞいな」
さては、最初から死ぬ覚悟であったかと思い至り、こうとわかっていれば連れてこなかったのに、と悔やみます。
そして、愛する夫の元へと、お里も谷へ身を投げるのです。
ところが、そこへ観音が現れ、お里の日頃の信心、妻の貞心に免じて、二人の命を助け、沢市の目が見えるようにしてくれたのです。
そして、大団円。先に書いた明るく笑いの起こる場面となります。
貞女の鑑と言われたお里ですが、今の人にはそのことよりも、相思相愛の夫婦愛の方がわかりやすいですね。
お里は村人が噂するくらいですから当然美女ですが、疱瘡後がさぞ醜いだろうと自分で思っている沢市も、主役ですから、良い男です。
この沢市ならば、村の女性たちも”私たちだってあの人なら尽くすわよね~”と言ってる声が聞こえてくるような気がしないでもありません。
冒頭「土佐松原の段」で、観音参りの信者たちの台詞、
「内(家)へ帰って山の神(女房)にお里女郎(遊女、の意味ではありません)の話をして、男を大事にするように」言って聞かせよう、
と口々に言う男たちに、つい、”あんたと沢市つぁんとでは大違い”と女房たちから総スカンをくらう姿を想像してしまった私です・・・

文楽というと堅苦しく考える方も多いかもしれませんが、世話物ならばこういった気楽な話も多いのです。
会場では、イヤホンガイドでの説明もありますし、電光掲示板で語っている浄瑠璃も目で確認することができますから、ぜひ一度生の舞台をご覧になってくださいませね♪


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